皆さんはなぜ、子どもたちにバスケットボールをさせるのでしょうか?
「バスケットボールを上手になってほしいから」「主体性を身につけてほしいから」「運動不足なので…」
など様々な理由があると思います。
どれもお子さんを思ってのことでしょうし、我が子の成長を願うのは親として自然な感覚です。あるいは子どもたちを指導するコーチたちにも様々な思いがあるでしょう。
ここで少し視点を変えて考えてみましょう。
なぜ、子どもたちはバスケットボールをするのでしょうか?
ぜひ子どもたちに聞いてみてください。
この質問に対する正確なデータはありませんが、なぜスポーツをするのかという問いに対しては
「楽しいから」「好きだから」「上手くなりたいから」
という答えがほとんどのようです。
ここで大事なのは、子どもがどんな理由でバスケットボールをしているかではありません。
大人が、子どもがバスケットボールをする理由を尊重するということです。
先ほど述べたように、どんな親もコーチも子どもたちの成長を願うものです。
しかし、その思いは時として子どもたちを潰すものになってしまいます。
バスケットボールをするのは子どもです。大人ではありません。
子どもが楽しくて始めたバスケットボールに、いつの間にか大人の方がのめり込んでしまっていることはないでしょうか?
ミニバスや中学校の現場では、コーチがああしろこうしろと子どもに指示を飛ばしたり、ベンチの声以上に保護者席の声が会場に響いたりしています。
中にはプレーをするたびにお父さんお母さんの方を向いて、その反応を伺いながらプレーする子どももいます。
このような光景は、子どもが成長する上で適切なものでしょうか?
こういう環境で育った子どもたちは果たして主体性を身につけられるのでしょうか?
このようにバスケットボールが、「子どもがやるもの」から「大人がやらせるもの」になっている光景は珍しくありません。
子どもたちのこうしたい!よりも大人のこうさせたい!が上回り、結果としてそのような光景になっているのでしょう。
過度な期待から、本来楽しくてバスケットボールをしている子どもたちから楽しさを奪ってしまっているのです。(あるいはその他の理由かもしれません。)
そしてそのような環境で育った子どもたちは自分がやりたいプレーよりも大人が求めるプレーをするようになります。
大人の移行でやらされている限り、大人が求めることをやるのが上手な子どもが育つだけではないでしょうか?
僕はそれを成長したとは言えないと思います。
また皆さんも、子どもたちにそのように育ってほしいとは思っていないはずです。
子どもたちが自分で考えて、選択して、挑戦して、失敗して、また挑戦して、成功して…
そのような過程を経てこそ、子どもたちは本当の意味で成長していくのではないでしょうか。
バスケットボールは子どもたちのものです。大人がそれを邪魔してはいけません。
ぜひ子どもたちの思いを尊重してください。
とんでもないミスやへんてこりんに見えるパスも、子どもたちが自分で考えてプレーした結果です。
大人が思っている以上に子どもたちは考えていますし、自分たちでどんどん成長していきます。こちらが過剰に心配しなくても子どもたちは自分で成長する力を持っているのです。
我々大人の役割は「子どもを育てること」ではありません。「子どもが育つ環境を作ること」です。
そこで皆さんに大切にしてほしい考え方があります。
それが「課題の分離」という考え方です。